1949年
SHERWOODの創始者、LEO. P.DROLET(以後呼称レオ)は、50ドルの資金を手に、カナダのケベック州、「シャーブルック」という小さな町で「SHERBROOKE WOODCRAFT」という小さな木工場を立ち上げました。当時の50ドルは現代のどのくらいの価値のお金なのか知る余地もありませんが、それがスティック造り一筋に情熱をかけてきたメーカーの出発点です。*カナダの国技はアイスホッケーですが、アメリカの国境に程なく近いモントリオールから南方面に所在するシャーブルックは、ホッケー発祥の町と言う説がある場所として知られています。
レオが持っていた手持ちの50ドルをどう使うべきか?車を買うか、小さな木工所を始めるか?
奥様と話し合いながら、最終的にレオは、アイスホッケースティック作りのための小さな木工所への道を選びました。
世界的なホッケーブランドとなったシャーウッドは、まさにアメリカンドリームの体現と言えるでしょう。
熟練された職人と革新的テクノロジーに奮闘を重ねたレオの作るスティックは、やがて評判に評判を呼び、SHERWOODはカナダに於ける国民的スティックの代名詞となりました。プロプレーヤーたちに向けプロユースのスティックを幾度も幾度も試行錯誤で夢はまもなくNHLへの納品に。すると瞬く間にNHLシェア No. 1 のスティックメーカーとして上り詰め、1950年代後半から2005年頃までその存在は、10数社あったスティックメーカーの中で、最高48.5%というNHLにおいて圧倒的なシェアとリーダーシップを誇る存在感で、スティック市場から羨望の眼差しを受けるブランドへの成長を遂げました。中でもSHERWOODのアイコニック・スティックとなった傑作「P.M.P.5030(フィフティーサーティ)」の誕生は、SHERWOODブランドを不動のものと決定づけ、多くのNHL選手に選ばれ、また彼らの金字塔確立を支え続けました。日本では「ゴーマルサンマル」の名で親しまれました。
1975年当時のSHERWOOD本社正門
やがて伝統の特徴的工法はそのままに、グラスファイバー素材を駆使した「P.M.P.7000」「P.M.P.7030」「P.M.P.9030」「P.M.P.X. 9950」シリーズを発表。成功をおさめました。1980年代カーボン素材に目をつけ製品化をした時代もありましたが、先端テクノロジーへの着手が早すぎたせいか、事業として苦い経験をしたこともありました。その後時代は徐々にアルミシャフトやカーボン素材への移行に進み、流れに遅れを取ったSHERWOODは勢いを失っていくこととなります。
その最中、NHLプレーヤーへの献身的なサポートを長年にわたって行なってきた、創始者の長男、MICHEL DROLETが病に倒れると、その後まもなく創始者のレオも後を追うように世を去っていくのでした。
日本では、ほぼ同時期に日本リーグのチームの一つであった雪印も廃部への道を辿ります。
長年にわたり弊社は、雪印アイスホッケーチームをはじめ、日本製紙、コクド、SEIBU、アイスバックス、古河電工など、日本リーグ、アジアリーグのチームにSHERWOODのスティック、製品を納品・供給させていただきました。
剛腕副社長としてSHERWOODを支えたGEORGES GUILBAULT(後ろのシカゴの選手は、スーパースターのSTAN・MIKITA)
その後、次男のDENIS DROLETがSHERWOODの立て直しを図りましたが、時代の変遷に追いつけぬまま、努力も虚しく創業より59年目の2008年に会社を売却。この時点で創世記のSHERWOODは一つの時代の終わりを迎えることになります。
カナダに於いて、スティックの代名詞であるSHERWOODで育ったSYDNEY CROSBY(シドニー・クロスビー)などのスター選手がSHERWOODを使用していましたが、結局は時代の流れに飲まれた結果となりました。
(第一世代SHERWOODの最後のスタープレーヤーの一人となったSIDNEY CROSBY )
その後、TPSブランドなどを傘下に置くなど一時的に盛り返しを見せ奮闘しました。
幾度のオーナーチェンジを経て、2018年末に現体制となったSHERWOODは、ブランドコンセプトやオリジナルのテクノロジーなど、その業界においてユニークなポジションを獲得する方向に向かい始め、NHLをはじめとする世界中のプレーヤーやファンを魅了し、皆様に愛されるホッケーブランドとして再び大きく歩を進め始めました。
国技・ホッケー大国、カナダにおいて長い歴史の中で唯一残った真のホッケースティックブランド、SHERWOOD
なぜSHERWOODブランドが生き残ったのか?
あなたはこれからその理由を知りたいでしょうか?
私たちはその先にあるものをみたい気持ちでいっぱいです。
そして現在に至ります